2011-01-01から1年間の記事一覧

鼓ヶ岡城と三吉覚弁 神辺町東部の上下竹田から八尋にかけての一帯は、中世「高富庄」と呼ばれる荘園であった。荘園領主は判然としない。 典型的な「谷田」地帯で、櫛の歯のように開けた小さな谷あいには、大抵奥まったところに溜池があり、谷の出口にかけて…

明顕山城と三吉丹後守神辺町下竹田 国道482号線や主要地方道井原福山港線が整備されたため、今ではあまり利用しなくなったが、蔵王の市民病院北から山越えに神辺町下竹田へ行く県道は、かつては井原方面への近道としてよく利用したものである。 国道18…

土居城と八頭城 神石郡神石高原町 山野町の田原城と串丸城は、高梁川の支流、小田川の上流「猿鳴峡」の断崖上に築かれた険阻な山城であった。 一般の観光客は、キャンプ場から紅葉橋辺りまで足を伸ばすと、そのままユーターンして帰ってしまうが、渓谷はまだ…

12月徒歩例会 「野呂往還を歩く第一弾」 新市町柏に通じる山道「野呂往還」を数回に分けて踏破します。第一回は戸手駅から柏城跡まで 大佐山白塚古墳群、柏観音堂、柏甲山城跡など往還沿いの史跡を見学します。 消えようとする古い往還を会員の皆様と一緒に…

草戸町で山城跡発見

11月24日、福山市の草戸町で地元の皆さんと山城跡を調査してきました。 どうも「幻の中山城跡」を発見したようです。

美濃岩村城に攻め上る

「田口義之さんと歩く会特別編」1泊2日バスツアー岐阜県恵那市「岩村城跡」登山ウオーク 福山リビング新聞社が、備陽史探訪の会・会長の田口義之さんを講師に実施している「歩く会」。過去には日本三大山城に数えられる「備中松山城」(岡山県高梁市)と「…

甲賀の里と土山宿、戦国の巨城を歩く

平成23年度備陽史探訪の会1泊旅行 「東近江紀行」 甲賀の里と土山宿、日本最大の山城に挑戦 「江州というあわあわとした国は…」有名な司馬遼太郎の『街道を行く』の一節だ。今回はこの近江の中でも甲賀エリア、東近江エリアの史跡文化財を探訪する。言う…

志川滝山合戦と芋原の大スキ

謎の大鋤 福山市の北郊、加茂町北山に「芋原」という、高原上の集落がある。 福山の駅前からだと、国道2号線から、国道182号線に入り、加茂町の「東城別」辺りで右折し、山野町へ向かう。以前だと、山越えの上り坂の手前で左折し芋原へ上ったものだが、…

上原氏の拠った今高野山城址 備後国の中央部、世羅台地は中世の荘園、高野山領『太田荘』 の故地として有名である。、戦国時代、この地に今高野山城を築き近隣に威を振ったのが『上原氏』だ。 上原氏は、双三郡吉舎町の南天山城に拠った有力国人武士『和智氏…

備後杉原氏の盛衰 杉原氏の登場 杉原氏は、系図によると平氏の出で、鎌倉時代の建仁二年(一〇二)伯耆守光平が備後守護職に任ぜられ、府中八尾城に来住したのが起こりと伝える。 杉原氏が本格的に歴史の舞台に登場するのは、南北朝時代である。『光明寺残篇…

粟根城と粟根氏 加茂の谷から山野町へ、以前は国道182号線の「東城別れ」交差点から、山際の道を対向車に気をつけながら向かったものだが、現在は谷のやや東よりに立派な舗装道路がつき、トンネルを抜けると駅前からでも30分足らずで山野町に着く。この…

山内城と山内氏 福山市駅家町 福山の中心部から西北へ直線距離で約六キロ、駅家町の「今岡」という所に山内城と呼ばれる中世山城跡が残っている。 国道2号線から芦田川右岸の土手道に入り、「石原トンネル」を抜けたところで左折、ここから判りづらいが、そ…

城山の麓に建つ正満寺 宇山城と正満寺 芦田川の支流「有地川」の流域は、考古学的に注目される地域だ。芦田川の中下流域では、今まで左岸の神辺平野北部の丘陵部が注目されて来た。 だが、最近の発掘調査で、このことは誤りであることが明らかになった。 駅…

湯舟城と有地氏 福山市芦田町柞磨に残るもう一ヶ所の山城、「湯舟城(入船山城とも言う)」は、典型的な「境目の城」だ。 福山から御調・甲山方面への近道、福山御調道路に入って約10分、車はあっという間に芦田町の主要部を通り抜け、湯舟城のある大字柞…

滑山城と柞磨氏 福山市芦田町は、大きく分けて、福田、有地(上下)、柞磨(たるま)の3つの大字で構成される。 後にすべて有地氏の支配するところとなったこの地域には、それぞれ別の在地領主が割拠し、山城を構えていた。 一番奥まった柞磨に本拠を置いた…

元町のトライアング広場で開催された第1回東北支援福山フードフェスタにいって来ました。 小雨モヨウでしたがざっと三百人ほどの人出でした。 10店舗ほどの屋台が出ていて、焼そばと蛍烏賊のてんぷら、慈姑のから揚げを食べてきました。 何人かの知り合い…

火打峠の辻堂 鳥の奥城と有地氏(2) 鳥の奥、大谷九の平といった要害を構えて有地郷の領主となった有地氏だが、その前途は多難であった。 有地氏がこの地に入ったのは16世紀前半のことと考えられるが、既に周囲には、古志、福田、楢崎などの国人領主がひ…

北から見た別所城址 別所城と三谷氏 福山の西郊瀬戸町に「別所」という地名がある。 福山の駅前から国道2号線を広島方面に向かい、バイパスに入る手前の「岩足橋」交差点で左折、突き当りを右に行き、五百メートルほど行った所で右折する。 ちょっとややこ…

正面から見た鳥の奥城跡 鳥の奥城と有地氏 鳥の奥城は「殿奥城」とも書く。福山の中心部から車で約30分、芦田川の土手をさかのぼり、石原トンネルを出たところで左折、高規格道路に入り動物園を過ぎた最初の信号を左折し、約1キロで城の麓に到着する。 中…

大谷城跡本丸を望む 大谷城と有地隆信(3) 大谷城や次に紹介する鳥の奥城、市迫城に関する郷土史書の記述は錯綜している。 「西備名区」芦田郡下有地村の条は、これらの山城について、次のように述べている。「大谷山、米迫城 有地石見守清元 宮城を出て初…

北麓のから眺めた大谷城跡 大谷城と有地隆信(続き) 私が初めてこの城を訪ねたのは、昭和55年11月24日のことであった。 なぜ、30年近い昔のことが月日までわかるかと言うと、生まれたばかりの備陽史探訪の会の第2回目の「例会」で訪ねたからだ。 …

大谷城と有地隆信 戦国時代、福山市芦田町一帯に大きな勢力を持った有地氏は、謎を秘めた一族だ。第一に、素性がはっきりしない。 一般に信じられているのは、「相方城主有地殿先祖覚」などで流布している説だ(福山志料・西備名区も大同小異)。 有地氏の初…

国竹城跡本丸 国竹城と有地石見守 芦田町の「天満」のバス停に降り立つと、かつて有地(あるじ)郷と呼ばれた同町の地形が良くわかる。 視界の真中辺りを芦田川の支流有地川が大きく蛇行し、川に向かってなだらかな丘陵が行く筋も伸び、谷あいに水田が開けて…

西山城と西山摂津守 福山市の坪生町と春日町の境の山に「西山城」と呼ばれる中世の山城跡がある。 蔵王の旧バス道路を春日の浦上から峠越えに坪生に向かうと、丁度、旧村境付近の左手の山頂で、現在、城跡に稲荷神社が祀られている。 城は、春日と神辺町の上…

茶臼山城と皆内蔵人 各地の山城の名で、最もありふれたのは「茶臼山」であろう。 福山市内でも神辺町御領の国分寺裏山に茶臼山城があり、同じく徳田の要害山も一名茶臼山と呼ばれている。 茶臼は下の臼が大きく上の臼は小さい、すなわち、正月の鏡餅のように…

佐波城と佐波越中守 市内で一番簡単にハイキングが楽しめるのは、草戸町の明王院裏山だろう。 五重塔の左手に、山頂近くにある「愛宕さん」の参道があり、この道を利用すると15分ほどで山頂広場に達する。 もっと手っ取り早く散策を楽しもうとすれば、車で…

鷲尾山城址 鷲尾山城と木梨杉原氏(続編) 戦国備後の象徴的な山城、鷲尾山城跡は今も木梨の里に悠然と聳えている。 国道184号線を尾道から北へ約15分、新幹線の高架を過ぎてしばらく行くと、「木梨口」の交差点がある。尾道市木之庄町木梨はこの交差点…

木梨の里に高く聳える鷲尾山城址 鷲尾山城と木梨杉原氏 木梨氏が尾道を支配していた証拠は二つの山城跡のほかにも残っている。 代表的な史料は、天正十六年(1588)の「輝元公御上洛日記」だ。 この史料は、毛利輝元が初めて豊臣秀吉に会見するため同年の…

尾道千光寺山からの眺め 千光山城と木梨杉原氏 尾道に来て千光寺に参拝しない観光客はまずいない。 それほど市街地の背後に建つ千光寺の赤いお堂は尾道の象徴だ。 この寺に参拝するには、健脚の方だったら尾道古寺めぐりの案内に従って下から「登る」、そう…

久代宮景盛の老臣山城守盛勝の画像 宮氏の一族 去る一月二十七日土曜日(平成19年)、当会の平成一九年度の総会が盛大に行われた。 まずは会員の皆さんのご協力に感謝したい。 記念講演は、毛利博物館の柴原直樹氏が「毛利氏と宮氏、備後に戦国大名が生ま…