古城探訪

鼓ヶ岡城と三吉覚弁 神辺町東部の上下竹田から八尋にかけての一帯は、中世「高富庄」と呼ばれる荘園であった。荘園領主は判然としない。 典型的な「谷田」地帯で、櫛の歯のように開けた小さな谷あいには、大抵奥まったところに溜池があり、谷の出口にかけて…

土居城と八頭城 神石郡神石高原町 山野町の田原城と串丸城は、高梁川の支流、小田川の上流「猿鳴峡」の断崖上に築かれた険阻な山城であった。 一般の観光客は、キャンプ場から紅葉橋辺りまで足を伸ばすと、そのままユーターンして帰ってしまうが、渓谷はまだ…

粟根城と粟根氏 加茂の谷から山野町へ、以前は国道182号線の「東城別れ」交差点から、山際の道を対向車に気をつけながら向かったものだが、現在は谷のやや東よりに立派な舗装道路がつき、トンネルを抜けると駅前からでも30分足らずで山野町に着く。この…

山内城と山内氏 福山市駅家町 福山の中心部から西北へ直線距離で約六キロ、駅家町の「今岡」という所に山内城と呼ばれる中世山城跡が残っている。 国道2号線から芦田川右岸の土手道に入り、「石原トンネル」を抜けたところで左折、ここから判りづらいが、そ…

城山の麓に建つ正満寺 宇山城と正満寺 芦田川の支流「有地川」の流域は、考古学的に注目される地域だ。芦田川の中下流域では、今まで左岸の神辺平野北部の丘陵部が注目されて来た。 だが、最近の発掘調査で、このことは誤りであることが明らかになった。 駅…

湯舟城と有地氏 福山市芦田町柞磨に残るもう一ヶ所の山城、「湯舟城(入船山城とも言う)」は、典型的な「境目の城」だ。 福山から御調・甲山方面への近道、福山御調道路に入って約10分、車はあっという間に芦田町の主要部を通り抜け、湯舟城のある大字柞…

滑山城と柞磨氏 福山市芦田町は、大きく分けて、福田、有地(上下)、柞磨(たるま)の3つの大字で構成される。 後にすべて有地氏の支配するところとなったこの地域には、それぞれ別の在地領主が割拠し、山城を構えていた。 一番奥まった柞磨に本拠を置いた…

火打峠の辻堂 鳥の奥城と有地氏(2) 鳥の奥、大谷九の平といった要害を構えて有地郷の領主となった有地氏だが、その前途は多難であった。 有地氏がこの地に入ったのは16世紀前半のことと考えられるが、既に周囲には、古志、福田、楢崎などの国人領主がひ…

北から見た別所城址 別所城と三谷氏 福山の西郊瀬戸町に「別所」という地名がある。 福山の駅前から国道2号線を広島方面に向かい、バイパスに入る手前の「岩足橋」交差点で左折、突き当りを右に行き、五百メートルほど行った所で右折する。 ちょっとややこ…

正面から見た鳥の奥城跡 鳥の奥城と有地氏 鳥の奥城は「殿奥城」とも書く。福山の中心部から車で約30分、芦田川の土手をさかのぼり、石原トンネルを出たところで左折、高規格道路に入り動物園を過ぎた最初の信号を左折し、約1キロで城の麓に到着する。 中…

大谷城跡本丸を望む 大谷城と有地隆信(3) 大谷城や次に紹介する鳥の奥城、市迫城に関する郷土史書の記述は錯綜している。 「西備名区」芦田郡下有地村の条は、これらの山城について、次のように述べている。「大谷山、米迫城 有地石見守清元 宮城を出て初…

北麓のから眺めた大谷城跡 大谷城と有地隆信(続き) 私が初めてこの城を訪ねたのは、昭和55年11月24日のことであった。 なぜ、30年近い昔のことが月日までわかるかと言うと、生まれたばかりの備陽史探訪の会の第2回目の「例会」で訪ねたからだ。 …

大谷城と有地隆信 戦国時代、福山市芦田町一帯に大きな勢力を持った有地氏は、謎を秘めた一族だ。第一に、素性がはっきりしない。 一般に信じられているのは、「相方城主有地殿先祖覚」などで流布している説だ(福山志料・西備名区も大同小異)。 有地氏の初…

国竹城跡本丸 国竹城と有地石見守 芦田町の「天満」のバス停に降り立つと、かつて有地(あるじ)郷と呼ばれた同町の地形が良くわかる。 視界の真中辺りを芦田川の支流有地川が大きく蛇行し、川に向かってなだらかな丘陵が行く筋も伸び、谷あいに水田が開けて…

西山城と西山摂津守 福山市の坪生町と春日町の境の山に「西山城」と呼ばれる中世の山城跡がある。 蔵王の旧バス道路を春日の浦上から峠越えに坪生に向かうと、丁度、旧村境付近の左手の山頂で、現在、城跡に稲荷神社が祀られている。 城は、春日と神辺町の上…

茶臼山城と皆内蔵人 各地の山城の名で、最もありふれたのは「茶臼山」であろう。 福山市内でも神辺町御領の国分寺裏山に茶臼山城があり、同じく徳田の要害山も一名茶臼山と呼ばれている。 茶臼は下の臼が大きく上の臼は小さい、すなわち、正月の鏡餅のように…

佐波城と佐波越中守 市内で一番簡単にハイキングが楽しめるのは、草戸町の明王院裏山だろう。 五重塔の左手に、山頂近くにある「愛宕さん」の参道があり、この道を利用すると15分ほどで山頂広場に達する。 もっと手っ取り早く散策を楽しもうとすれば、車で…

鷲尾山城址 鷲尾山城と木梨杉原氏(続編) 戦国備後の象徴的な山城、鷲尾山城跡は今も木梨の里に悠然と聳えている。 国道184号線を尾道から北へ約15分、新幹線の高架を過ぎてしばらく行くと、「木梨口」の交差点がある。尾道市木之庄町木梨はこの交差点…

木梨の里に高く聳える鷲尾山城址 鷲尾山城と木梨杉原氏 木梨氏が尾道を支配していた証拠は二つの山城跡のほかにも残っている。 代表的な史料は、天正十六年(1588)の「輝元公御上洛日記」だ。 この史料は、毛利輝元が初めて豊臣秀吉に会見するため同年の…

尾道千光寺山からの眺め 千光山城と木梨杉原氏 尾道に来て千光寺に参拝しない観光客はまずいない。 それほど市街地の背後に建つ千光寺の赤いお堂は尾道の象徴だ。 この寺に参拝するには、健脚の方だったら尾道古寺めぐりの案内に従って下から「登る」、そう…

丹花城と持倉氏 「富貴の在所」で「民家1千余軒、財宝限りなし」といわれた尾道だけに、支配をめぐって争いは絶えなかった。 鎌倉末期の元応元年(1319)12月、備後守護代円清らは、尾道に「悪党」が居住しているとして、手下を率いて町に乱入して、多…

太田垣氏と赤城跡 尾道市東則末町 備後中世において最も利用された「道」は、大田庄と尾道を結んだ、今の国道184号線のルートではないだろうか…。 中世備後最大の荘園は「大田庄」であった。 開発領主橘氏が平氏を領家と仰いで設けられた荘園で、庄域は世…

苧原中山城跡遠望 境目の城の典型、苧原中山城 府中の亀ケ岳の写真(前々回の常城の話に使用)を取ったついでに、栗柄から尾道の北部を回って福山に帰った。 今はアスファルトで舗装された新道がまっすぐ尾道に向かっているが、新道の左右に見え隠れする旧道…

府中市街に聳える亀ヶ嶽 常城の話 中世の山城の連載をしながら古代の「茨城」に話がそれてしまった。 逸れたついでに茨城と共に史書に現れる「常城」の話をしよう。 繰り返しになるが、茨城、常城が登場するのは、『続日本紀』の次の一箇所のみだ。 元正天皇…

蔵王山医王寺旧跡から出土した古瓦 蔵王山城の謎 千田町から眺める蔵王山は美しい。 くっきりと平らにした頂から稜線が富士山型に伸び、松の緑がすがすがしい。 私の母の実家は千田の小土井で、小さい頃、母と一緒に訪ねるのが楽しみであった。 駅前から井笠…

宇治山城と宇治入道法円 旧深津郡千田村(福山市千田町)には、以前から城跡と伝えられる場所が2箇所知られていた。 一つは、別名「千田富士」と呼ばれた蔵王山の山頂にあったという蔵王山城である。 確かに蔵王山の山頂にはそれらしい痕跡がある。 山頂の平…

栗田城と長和氏 福山市瀬戸町は、江戸時代以来の旧長和、地頭分、山北の三ケ村が合併して出来た新しい町名で、その名は町内西南部に位置する「瀬戸池」の「瀬戸」に由来する。 この地域は、また、中世荘園「長和庄」の中心地としても知られている。 長和庄は…

岬の突端に築かれた戸崎城跡 尾道水道を監視する海賊城、戸崎城跡 尾道市浦崎町は、ひょんな経緯から本来沼隈郡(旧福山藩領)にもかかわらず、戦後の合併で尾道市(旧広島藩領)に編入されることを望み、現在のように陸路は福山市域を通過しなければ尾道市…

田島天神山城址、左手の岬突端 海賊村上氏の拠点田島天神山城 福山駅前から沼隈方面へ車を飛ばして約30分で、内海大橋を渡って内海町田島に入る。 右手に道を取って内海町の中心部を目指すと、町に入る手前で道路は大きくカーブし、前方にのしかかるような…

正面丘陵の突端が城跡で、その右の平野がかつての港の跡である 中世の藁江港を監視する織機城 そこは眺望の素晴らしい場所だった。 過日、地元の人に案内されて、藤江町の「織機城跡」と言うのに案内された。 東の沼隈半島の丘陵から「飛び地」のようになっ…