2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

北から見た別所城址 別所城と三谷氏 福山の西郊瀬戸町に「別所」という地名がある。 福山の駅前から国道2号線を広島方面に向かい、バイパスに入る手前の「岩足橋」交差点で左折、突き当りを右に行き、五百メートルほど行った所で右折する。 ちょっとややこ…

正面から見た鳥の奥城跡 鳥の奥城と有地氏 鳥の奥城は「殿奥城」とも書く。福山の中心部から車で約30分、芦田川の土手をさかのぼり、石原トンネルを出たところで左折、高規格道路に入り動物園を過ぎた最初の信号を左折し、約1キロで城の麓に到着する。 中…

大谷城跡本丸を望む 大谷城と有地隆信(3) 大谷城や次に紹介する鳥の奥城、市迫城に関する郷土史書の記述は錯綜している。 「西備名区」芦田郡下有地村の条は、これらの山城について、次のように述べている。「大谷山、米迫城 有地石見守清元 宮城を出て初…

北麓のから眺めた大谷城跡 大谷城と有地隆信(続き) 私が初めてこの城を訪ねたのは、昭和55年11月24日のことであった。 なぜ、30年近い昔のことが月日までわかるかと言うと、生まれたばかりの備陽史探訪の会の第2回目の「例会」で訪ねたからだ。 …

大谷城と有地隆信 戦国時代、福山市芦田町一帯に大きな勢力を持った有地氏は、謎を秘めた一族だ。第一に、素性がはっきりしない。 一般に信じられているのは、「相方城主有地殿先祖覚」などで流布している説だ(福山志料・西備名区も大同小異)。 有地氏の初…

国竹城跡本丸 国竹城と有地石見守 芦田町の「天満」のバス停に降り立つと、かつて有地(あるじ)郷と呼ばれた同町の地形が良くわかる。 視界の真中辺りを芦田川の支流有地川が大きく蛇行し、川に向かってなだらかな丘陵が行く筋も伸び、谷あいに水田が開けて…

西山城と西山摂津守 福山市の坪生町と春日町の境の山に「西山城」と呼ばれる中世の山城跡がある。 蔵王の旧バス道路を春日の浦上から峠越えに坪生に向かうと、丁度、旧村境付近の左手の山頂で、現在、城跡に稲荷神社が祀られている。 城は、春日と神辺町の上…

茶臼山城と皆内蔵人 各地の山城の名で、最もありふれたのは「茶臼山」であろう。 福山市内でも神辺町御領の国分寺裏山に茶臼山城があり、同じく徳田の要害山も一名茶臼山と呼ばれている。 茶臼は下の臼が大きく上の臼は小さい、すなわち、正月の鏡餅のように…

佐波城と佐波越中守 市内で一番簡単にハイキングが楽しめるのは、草戸町の明王院裏山だろう。 五重塔の左手に、山頂近くにある「愛宕さん」の参道があり、この道を利用すると15分ほどで山頂広場に達する。 もっと手っ取り早く散策を楽しもうとすれば、車で…

鷲尾山城址 鷲尾山城と木梨杉原氏(続編) 戦国備後の象徴的な山城、鷲尾山城跡は今も木梨の里に悠然と聳えている。 国道184号線を尾道から北へ約15分、新幹線の高架を過ぎてしばらく行くと、「木梨口」の交差点がある。尾道市木之庄町木梨はこの交差点…

木梨の里に高く聳える鷲尾山城址 鷲尾山城と木梨杉原氏 木梨氏が尾道を支配していた証拠は二つの山城跡のほかにも残っている。 代表的な史料は、天正十六年(1588)の「輝元公御上洛日記」だ。 この史料は、毛利輝元が初めて豊臣秀吉に会見するため同年の…

尾道千光寺山からの眺め 千光山城と木梨杉原氏 尾道に来て千光寺に参拝しない観光客はまずいない。 それほど市街地の背後に建つ千光寺の赤いお堂は尾道の象徴だ。 この寺に参拝するには、健脚の方だったら尾道古寺めぐりの案内に従って下から「登る」、そう…

久代宮景盛の老臣山城守盛勝の画像 宮氏の一族 去る一月二十七日土曜日(平成19年)、当会の平成一九年度の総会が盛大に行われた。 まずは会員の皆さんのご協力に感謝したい。 記念講演は、毛利博物館の柴原直樹氏が「毛利氏と宮氏、備後に戦国大名が生ま…

宮景盛画像 久代宮氏の所領 私が郷土史、それも戦国時代の山城に興味を持つようになったのは、『西備名区』によるところが多い。 中でも、久代宮氏のくだりには心引かれた。 『西備名区』のこの部分は「久代記」をほとんどそのまま引用したものであった。 同…

丹花城と持倉氏 「富貴の在所」で「民家1千余軒、財宝限りなし」といわれた尾道だけに、支配をめぐって争いは絶えなかった。 鎌倉末期の元応元年(1319)12月、備後守護代円清らは、尾道に「悪党」が居住しているとして、手下を率いて町に乱入して、多…

太田垣氏と赤城跡 尾道市東則末町 備後中世において最も利用された「道」は、大田庄と尾道を結んだ、今の国道184号線のルートではないだろうか…。 中世備後最大の荘園は「大田庄」であった。 開発領主橘氏が平氏を領家と仰いで設けられた荘園で、庄域は世…

苧原中山城跡遠望 境目の城の典型、苧原中山城 府中の亀ケ岳の写真(前々回の常城の話に使用)を取ったついでに、栗柄から尾道の北部を回って福山に帰った。 今はアスファルトで舗装された新道がまっすぐ尾道に向かっているが、新道の左右に見え隠れする旧道…