2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

山頂に王子神社が鎮座するためその名が付いた 毛利元就の八男、元康の築城した王子山城跡 市街地のど真ん中と言う、意外なところにも戦国時代の城塞の跡が残っている。東深津町の王子山城跡だ。 国道を福山駅前から東に向かうと、洋服の青山辺りで、左手にコ…

上原氏の居城「今高野山城跡」遠望 今高野山城主上原氏の盛衰 備後国の中央部、世羅台地は中世の荘園、高野山領『太田荘』 の故地として有名である。、戦国時代、この地に今高野山城を築き近隣に威を振ったのが『上原氏』だ。 上原氏は、双三郡吉舎町の南天…

備後国衆福田氏の居城「利鎌山城跡」 弘治元年福田氏滅亡説について 福山市芦田町に「利鎌山城」と呼ばれる中世山城跡がある。中世、福田氏が居城し、弘治元年(一五五五)、西隣の有地氏の攻撃を受け落城したという。 昭和五三年三月、初めてこの城の本丸に立…

戦国山城の典型、備後楢崎氏の居城「朝山二子城」

はじめに 福山市の中心部から芦田川を逆上ること約二十キロ、府中市の市街地を過ぎると芦田川の流れは同市父石町で二股に分れる。 北流するのが本流で、更に逆上れば八田原ダム、三川ダムを経て世羅台地の源流地帯に達する。 本稿で紹介する朝山二子城跡(楢…

府中市久佐盆地の東にそびえる朝山二子城

畝状竪堀群の残る矢栗城跡(福山市沼隈町)

福山から沼隈への道を、沼隈農協を過ぎて2キロほど進むと、右手に山頂がへこんだような独立峰が見えてくる。 これが矢栗城跡のある「大納言山」だ。標高は170メートル足らずしかないが、周りに低い丘陵を従えているため高く見え、 「高城(たかんじょう)…

東から見た矢栗城跡、左の山頂斜面に畝状竪堀群がある

真鍋島の石造宝塔

笠岡市真鍋島 笠岡諸島の南端に近い真鍋島は魅惑の島だ。笠岡港から高速艇で40分、五月の勇壮な「走り神輿」、 夏の海水浴、四季折々の豊かな自然は人々を惹きつけてやまない。 歴史は古い。島の名は「真南辺」を意味し、奈良時代頃から現在の「真鍋」と書…

岡山県重要文化財、真鍋島の石造宝塔

典型的な館城である丸山城跡 謎の武将備後桑田氏と丸山城跡 戦国時代の末期から近代にかけて、山南(福山市沼隈町)の桑田一族は地域に大きな影響力を持ち、 多彩な人物を輩出した。横尾の「山南屋」と言えば、戦前「桑田銀行」を持ち、 讃岐電鉄の大株主とし…

有木忠宗の家督相続を認めた宮政盛判物(尾多賀文書) 有木民部太夫吉兼 生没年不詳、備後國沼隈郡山田一乗山城主渡辺越中守兼の嫡男。初名渡辺源五郎、 同国神石郡有木中山城主有木氏の家を継ぎ有木民部太夫吉兼と号す。 有木氏は備後一宮吉備津神社の社家…

旧町名の復活を 7日の新聞各紙に注目すべき記事が載っていた。枝野官房長官が6日の参院決算委員会で、 自民党の山谷えり子参院議員の質問に答えて、地図に名前の載っていない島や岩などについて、 「しっかりと名前をつけて、我が国の領土であることを様々…

真宗の拠点、備後沼隈郡光照寺 森脇山城と光照寺 福山駅前から沼隈方面に30分も車を走らせると、かつての沼隈郡沼隈町(現在は福山市沼隈町)に入る。 途中、分水嶺を二つ越える。まず水呑町洗谷から一山越えて熊野町に入る。そして、熊野の盆地から沼隈町 …

南側から見た中野天神山城跡 尾根道の先端に築かれた戦国山城「中野天神山城跡」 各地を訪ねていると同じ名前の山城に出くわすことがある。中でも多いのは「天神山城」であろう。 福山市内だけでも、神辺町徳田の要害山の別称が「天神山城」、海賊城だが田島…

山内首藤氏が久代宮氏に備えて築城した篠津原雲井城跡遠望 考証「篠津原合戦」 三上郡高郷(庄原市高町)周辺で宮氏の姿が初めて『山内首藤家文書』に現れるのは、年不詳(明応末年と推定) 九月五日付の塩冶氏盛書状に於いてである。この書状は、氏盛が山内…

掛迫古墳の上での、RCCのラジオカーのお姉さん方 掛迫第六号古墳に関する伝聞資料 日々集まってくる書類や小冊子、1ヶ月ほって置くと、部屋中書類だらけになる。 これを時々必要なものと捨てるものに分別し、必要なものは段ボール箱に入れて押 入れや物置に…

宮弾正左衛門尉利吉が居城した、備後國奴可郡久代飛田山城跡 久代殿―宮弾正利吉の物語― 東城町の久代に柴橋堂と呼ばれる辻堂がある。久代の中心部宮原から成羽川に 架かる橋を渡った処にある堂で、中に数体の石地蔵がまつられている。 戦国時代、西城東城一…

現在は近田八幡神社境内になっている近田堀の土居城跡 近田堀の土居城と近田宗左衛門 JR福塩線近田駅の西に「堀の土居城」と呼ばれる中世の城館跡がある。比高三十メートル ほどの丘で、頂上に近田の八幡神社が祀られている。城の「曲輪」を利用して神社が…

戦国時代、備後国人有福民部大輔元貞が居城した有福城址(府中市上下町有福) 有福元貞(?〜1589) 備後國甲奴郡有福(現広島県府中市上下町有福)を本拠とした国人武士。 初名源三郎、後民部大輔、伊賀守。 父は和智氏の庶流尾越越中守朝実。尾越家は…

芦田町本安寺に残る有地氏の石塔 平野の中の小丘に築かれた最小山城「宿久茂塚」 各地の城跡を見てまわっていると、驚くような小規模な山城跡に 出くわすことがある。今まで見た中で、一番規模が小さかったのは、 世羅町堀越の「月山城」だろう。高さ20メ…

謎の国人岡崎一族の居城岩崎城跡 古い記録を眺めるのは面白いものだ。わずか数行の文章か ら色んな仮説、考えが頭に浮かんでくる。 例えば、前回紹介した「泉山城」である。紙面の都合で割 愛したが、『備後古城記』品治郡雨木村泉山城の項、城主宮 常陸介元…

発掘された泉山城跡の曲輪跡 出土した遺物 備後宮氏の拠点の一つ、泉山(せんやま)城跡(福山市駅家町服部) 服部の谷を北に進むと、やがて谷筋が二股に分かれ、蛇円山の黒々とした山塊が前に立ちふさがる。この蛇円山山塊の南端に築かれたのが、福山古墳ロ…

草戸千軒町遺跡の西側にそびえる中山城跡、右の橋は芦田川に架かる草戸大橋 日本のポンペイ【草戸千軒町遺跡】の詰めの城「草戸中山城跡」 草戸大橋の西詰に、高さ50?ほどの小山がある。明王院裏山から南に伸びた尾根の突端で、「鳥越」という切り通しによ…

柏の観音堂山から見た椋山城跡、中央の山頂が平らな山がそれ 巧みに地形を利用した、室町後期の山城「椋山城跡」 福山古墳ロードは、服部大池から近田駅までがAコース、加茂町江木神社までがBコース、北の服部雨木の泉山城跡までがCコースの3コースだ。…

古墳時代の大古墳の上に築かれた小井城跡本丸。切岸から埴輪が出土する。 古墳を利用した中世城館「小井城跡」 去る3月23日、私が会長を務めている備陽史探訪の会が、福山市と協働で整備を進めていた「福山古墳ロード」がめでたく完成した。服部大池の土…

槇木嶋昭光の居城「神島城跡」福山市神島町 西より写す 最後の将軍足利義昭の側近、真木島昭光の居館跡「神島城跡」 福山駅前から国道2号線を広島方面に行き、神島橋を渡る辺りで右手を見ると、低い小さな丘が見える。神島町の古城山だ。神島の町名はこの丘…

宮信定の居城と伝わる甲谷城跡 謎の武将宮長門民部左衛門尉藤原信定と甲谷城跡 福山市内で私が一番好きな場所は、熊野町の光林寺池だ。水呑大橋を渡って、沼隈への県道を約10分、熊野の「六本堂」で左折、オンリーワンの先の大きな常夜塔で更に左折、約五…

新庄太郎の子孫が築いたという赤坂町の川上城跡 備後赤坂、川上城と村上氏 各地に「長者」のつく地名が残っている。中でも、福山市赤坂町の「長者が原」は有名だ。国道から「ふれ愛ランド」の標識に従って北に入り、鈴池の傍らを通って峠に向かうと、忽然と…

南の津之郷町坂部から見た串山城跡 銀山城の出城、串山城 津之郷町に田辺寺という真言宗の寺院がある。中国バス「谷尻バス停」から歩いて五分、以前はのどかな田園風景が広がっていたが、今は住宅が建て込んで来た。 田辺寺は、奈良時代に創建された「和光寺…

最近、「NHKの大河ドラマが面白くなくなった」、という声を良く聞く。確かに、私の経験でも、一年を通じて楽しく見る、ということはなくなった。記憶をたどっていくと、最後まで熱心に見たのは毛利元就(平成9年)ぐらいまでであったであろうか。もちろ…