真鍋島の石造宝塔

笠岡市真鍋島
 笠岡諸島の南端に近い真鍋島は魅惑の島だ。笠岡港から高速艇で40分、五月の勇壮な「走り神輿」、
夏の海水浴、四季折々の豊かな自然は人々を惹きつけてやまない。
 歴史は古い。島の名は「真南辺」を意味し、奈良時代頃から現在の「真鍋」と書くようになったと言う。
島に伝わる古文書によると、平安時代、大納言藤原信成の子がこの島に流され、末裔が島の領主となって真鍋氏を称したという。
 開発の古い島だけに、島の各所に立派な石造物が残っている。
真鍋氏の墓と伝える石塔群

 中でも通称「まるどうさま」と呼ばれる凝灰岩製の「宝塔」は注目される。
 真鍋港に上陸し、町並を抜けて、右手の道に入り、山越えに歩くこと30分で、島の西端に近い「沢津丸」に着く。
目的の宝塔は、断崖上の林の中に建っている。以前は吹きさらしだったが、今は蓋い屋の中に鎮座している。
総高一、一七?、全体の形状から平安末期のものと見た。源平の合戦で戦死した真鍋一族の供養塔と伝えるが、そうではあるまい。
 伝えでは岬の突端にあったと言うから、航海の安全を祈って造立された経塚の可能性が高い。