2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

上原氏の拠った今高野山城址 備後国の中央部、世羅台地は中世の荘園、高野山領『太田荘』 の故地として有名である。、戦国時代、この地に今高野山城を築き近隣に威を振ったのが『上原氏』だ。 上原氏は、双三郡吉舎町の南天山城に拠った有力国人武士『和智氏…

備後杉原氏の盛衰 杉原氏の登場 杉原氏は、系図によると平氏の出で、鎌倉時代の建仁二年(一〇二)伯耆守光平が備後守護職に任ぜられ、府中八尾城に来住したのが起こりと伝える。 杉原氏が本格的に歴史の舞台に登場するのは、南北朝時代である。『光明寺残篇…

粟根城と粟根氏 加茂の谷から山野町へ、以前は国道182号線の「東城別れ」交差点から、山際の道を対向車に気をつけながら向かったものだが、現在は谷のやや東よりに立派な舗装道路がつき、トンネルを抜けると駅前からでも30分足らずで山野町に着く。この…

山内城と山内氏 福山市駅家町 福山の中心部から西北へ直線距離で約六キロ、駅家町の「今岡」という所に山内城と呼ばれる中世山城跡が残っている。 国道2号線から芦田川右岸の土手道に入り、「石原トンネル」を抜けたところで左折、ここから判りづらいが、そ…

城山の麓に建つ正満寺 宇山城と正満寺 芦田川の支流「有地川」の流域は、考古学的に注目される地域だ。芦田川の中下流域では、今まで左岸の神辺平野北部の丘陵部が注目されて来た。 だが、最近の発掘調査で、このことは誤りであることが明らかになった。 駅…

湯舟城と有地氏 福山市芦田町柞磨に残るもう一ヶ所の山城、「湯舟城(入船山城とも言う)」は、典型的な「境目の城」だ。 福山から御調・甲山方面への近道、福山御調道路に入って約10分、車はあっという間に芦田町の主要部を通り抜け、湯舟城のある大字柞…

滑山城と柞磨氏 福山市芦田町は、大きく分けて、福田、有地(上下)、柞磨(たるま)の3つの大字で構成される。 後にすべて有地氏の支配するところとなったこの地域には、それぞれ別の在地領主が割拠し、山城を構えていた。 一番奥まった柞磨に本拠を置いた…

元町のトライアング広場で開催された第1回東北支援福山フードフェスタにいって来ました。 小雨モヨウでしたがざっと三百人ほどの人出でした。 10店舗ほどの屋台が出ていて、焼そばと蛍烏賊のてんぷら、慈姑のから揚げを食べてきました。 何人かの知り合い…

火打峠の辻堂 鳥の奥城と有地氏(2) 鳥の奥、大谷九の平といった要害を構えて有地郷の領主となった有地氏だが、その前途は多難であった。 有地氏がこの地に入ったのは16世紀前半のことと考えられるが、既に周囲には、古志、福田、楢崎などの国人領主がひ…