ちょっとした論考、レポート

上原氏の拠った今高野山城址 備後国の中央部、世羅台地は中世の荘園、高野山領『太田荘』 の故地として有名である。、戦国時代、この地に今高野山城を築き近隣に威を振ったのが『上原氏』だ。 上原氏は、双三郡吉舎町の南天山城に拠った有力国人武士『和智氏…

備後杉原氏の盛衰 杉原氏の登場 杉原氏は、系図によると平氏の出で、鎌倉時代の建仁二年(一〇二)伯耆守光平が備後守護職に任ぜられ、府中八尾城に来住したのが起こりと伝える。 杉原氏が本格的に歴史の舞台に登場するのは、南北朝時代である。『光明寺残篇…

久代宮景盛の老臣山城守盛勝の画像 宮氏の一族 去る一月二十七日土曜日(平成19年)、当会の平成一九年度の総会が盛大に行われた。 まずは会員の皆さんのご協力に感謝したい。 記念講演は、毛利博物館の柴原直樹氏が「毛利氏と宮氏、備後に戦国大名が生ま…

宮景盛画像 久代宮氏の所領 私が郷土史、それも戦国時代の山城に興味を持つようになったのは、『西備名区』によるところが多い。 中でも、久代宮氏のくだりには心引かれた。 『西備名区』のこの部分は「久代記」をほとんどそのまま引用したものであった。 同…

西から眺めた石屋原城跡、2段に築かれた曲輪の様子がよく分かる 山城と道〜神石郡石屋原城跡を例に〜 ずいぶん前になるが、松永の山城研究家藤井高一郎氏と神石郡三和町(現神石高原町)の山城跡を歩いたことがある。 三和町というと戦国時代に備後の国衆と…

上原氏の居城「今高野山城跡」遠望 今高野山城主上原氏の盛衰 備後国の中央部、世羅台地は中世の荘園、高野山領『太田荘』 の故地として有名である。、戦国時代、この地に今高野山城を築き近隣に威を振ったのが『上原氏』だ。 上原氏は、双三郡吉舎町の南天…

備後国衆福田氏の居城「利鎌山城跡」 弘治元年福田氏滅亡説について 福山市芦田町に「利鎌山城」と呼ばれる中世山城跡がある。中世、福田氏が居城し、弘治元年(一五五五)、西隣の有地氏の攻撃を受け落城したという。 昭和五三年三月、初めてこの城の本丸に立…

岡山県重要文化財、真鍋島の石造宝塔

掛迫古墳の上での、RCCのラジオカーのお姉さん方 掛迫第六号古墳に関する伝聞資料 日々集まってくる書類や小冊子、1ヶ月ほって置くと、部屋中書類だらけになる。 これを時々必要なものと捨てるものに分別し、必要なものは段ボール箱に入れて押 入れや物置に…