旧町名の復活を
 7日の新聞各紙に注目すべき記事が載っていた。枝野官房長官が6日の参院決算委員会で、
自民党山谷えり子参院議員の質問に答えて、地図に名前の載っていない島や岩などについて、
「しっかりと名前をつけて、我が国の領土であることを様々な意味で明確にすることが重要だ」
と述べ、国土地理院に対し、地元での調査を進めるよう指示すると発言したという。
山谷議員によると、無名の島や岩は約2200に上るという。
 これは由々しき問題で、国際法上、無主の土地は最初の領有を宣言し、命名した国の領土となる。
危ういところであったといえる。

 ところで、国会で「地名」が論議されたことに関連して、身近な地名の問題を考えてみたい。
先に述べたように、地名は人が名付けるもので、地域の歴史と大いに関連している。
人がそこに住み、よそと区別する必要上地名が生まれた。地名は、自然環境から生まれる場合もあるし、
歴史的環境の中から命名される場合もあった。いわば地名は地域と一体のもので、尊重されなければならない。

 だが、まわりを見渡すと、過去から現在まで受け継がれた、地域の宝でもある「地名」がいとも
簡単に葬り去られ、新しいその土地の歴史風土とは何のかかわりのない町名に変わっている。
「平成台」や「高美台」などの新興団地は許そう、それらの団地は山を崩して造成され、
それを象徴する地名がない場合が多いからだ。

 許せないのは、昭和40年代の町名変更によって、医者町や奈良屋町などの城下町特有の地名が失われたことだ。
福山は城下町として誕生し、その都市計画は江戸時代の完成された城下町としては白眉のものと言われて来た。
その福山の歴史の象徴であった城下町特有の地名がたいした論議もされずに失われてしまったのである。
代わりに誕生したのは、「昭和町」だの「明治町」だの、たいしてその地域とは無関係な意味不明の町名である。
この地名破壊は今も進行中である。住居表示という行政側の一方的な「都合」で由緒ある地名が失われている。

 人は土地とは無関係には存在し得ない。地名も土地の一部であるとするならば、
それを無造作に扱うことは人間性の否定に繋がる。

 今からでも遅くないから、これら失われた地名や町名を復活すべきである。
福山は城下町としてスタートした。城下町ならではの町名があってこそ福山といえるのではなかろうか…。
 もし、そのための時間が必要ならば、町名復活までの臨時的な措置として、
旧町名を示す案内板を設置すべきである。これは行政の手を借りなくても出来るはずである。
早くしないと「記憶」さえも消滅する恐れがある。