夢の連邦国家 
断末魔の菅内閣にあって国民を驚かせたのは、就任9日目で辞めた松本復興担当大臣の一連の失言、放言だろう。
ご本人がどんな意図で発言されたのかは諸説飛び交っているが、痛烈に感じたのは「上から目線」だ。
中央の大臣は偉くて、地方の知事は下、しかも被災地の知事に
「今、後から自分(知事)入ってきたけど、お客さんが来るときは自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序がわかっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。わかった?はい。しっかりやれよ」だ。
まるで知事なんぞは俺の下に這い蹲るのが当然で、地方を見下したに等しい発言。
被災地の方々でなくとも怒るのは当たり前だろう。
中央がえらくて、地方はその下、どうしてこのような「地方蔑視」の大臣を生んでしまったのか…。
その根は大変深いようである。
日本はほんの150年ほど前までは「分権国家」であった。
江戸にいた徳川将軍は絶大な権力を持っているように見えたが、その権力は各地を治めていた270余の「藩」内には及ばなかった。
各藩は「領内」に自由に課税し、独自の政策を採って、それぞれ個性ある「国造り」を行った。
だが、ペリー来航以来の「外圧」は、このような体制の存続を許さなかった。
この結果、討幕運動が起こり、日本は天皇を中心とした中央集権国家に生まれ変わった。
一転して「富国強兵」政策を強行、日本を列強の一つに押し上げた。第2次大戦で敗北するまで、県知事は内務官僚であり、県会の権限も弱いものであった。
昭和二十年の敗戦は、この地方と中央の関係を一変させた。
アメリカ占領軍は中央集権的な地方制度も軍国主義の元凶の一つとして解体し、これをアメリカのような連邦国家に改変しようとした。
だが、日本政府の強力な抵抗にあって、「地方政府」とはならず、「地方自治体」という甚だあいまいな行政組織とし、従前通り、これを中央政府の強力な統制下におこうとした。
これが「地方自治法」によって規定された現在の制度である。
建前は立派だが、税収を中央政府に握られたいる以上、自治といっても、「3割自治」といわれるように微々たるものであった。
中央集権が良いのか、分権が良いのか、私は住民にとっては分権が良いと思っている。
人々にとって住んでいるところが中央であって、そうした地域の集合体が国家なのである。
こうした国家を「連邦国家」と呼ぶ。
連邦国家の主権はあくまでそれを構成する分権国家にあって、財源はそれぞれの国の税収だ。
集権国家が良いのか分権国家が良いのか、真剣に議論すべき時ではなかろうか。