今年に入って競馬場の話題が連日新聞を賑わせている。1月に導入された投票方式「5重勝単勝式」の払戻金がこれまで最高の160万円を大きく上回る493万円余となったという話題もあったが、競馬場の存廃を考える「福山市営競馬検討委員会」が競馬場を視察したとか、本年度第3四半期の収支は黒字だったが、理由が賞典奨励費の削減だとかの不景気な話題も多い。中でも2月26日、福山商工会議所の林会頭が競馬場の存廃問題について「雇用には配慮が必要だが、赤字を出しながら続けるべきではない」と廃止に向けて一歩踏み出した発言をしたこと

 競馬場の存廃が話題に上って久しいが、焦点が「赤字」にばかり集中して、赤字イコール廃止という悲観的な流れになっているのが気に入らない。競馬場の先行きは本当に悲観的で、改善の余地はないのであろうか…。
 福山競馬の歩みは、戦災で丸焼けとなった福山市の復興の歩みでもあった。1949年9月18日に始まった福山競馬は、高度経済成長の波に乗って急成長し、1991年には発券売上げ345億円を記録、福山市の財政に大きく寄与した。
 競馬場のそばで生まれ育った私にとって競馬場は馴染み深い場所だった。昭和30年代には春は土筆採り、秋は「招魂祭」のオートレースを見に中に入ったものだ。競馬の全盛期、開催日には、競馬場周辺の空き地や路地は車で埋め尽くされたものだ。
 競馬場の「栄枯盛衰」を知る者から見て、歯がゆいのは、市は競馬場を存続させるつもりがあるのかどうかということと、市民が余りに競馬場のことを知らな過ぎることだ。
 競馬場を存続するためには二つの道があるように思う。一つは移転という荒療治だ。かつて現競馬場周辺は長閑な農村だったが、今は市役所から車で10分の市街地だ。大きな駐車場の確保など、付随した経費は馬鹿にならない。箕沖その他に移転して再建を図るのも手だ。また、運営形態を抜本的に変えるのも検討すべきだろう。競馬で必要不可欠なのは馬と騎手・調教師・厩務員など直接関わる人達だ。あとの運営は民間に委託してはどうか、経費の大幅な削減に繋がるはずだ。
 競馬場存続のためには市民の理解が必要だ。競馬はバラと共に戦後福山を象徴する文化だが、市民の何人がこのことを知っているだろうか…。以前一度提案したように、あの「高い壁」を取り払って、競馬を市民の前に「公開」するべきだ、そうすれば、生活の中にある「競馬場」として再び活気を取り戻すだろう。