鞆港埋立架橋問題、「国民の同意」とは

matinoneko2009-03-02

 鞆港の「埋立架橋問題」がいよいよ大詰めを迎えている。昭和58年に策定された鞆港の埋立架橋計画は、昨年6月、県知事が国に対して「埋立免許」を申請、遂に長年の懸案事項が解決するかと思われた。ところがここに来て国の姿勢に変化が見られはじめた。2・3ヶ月で許可が下りるはずの免許が下りない。羽田市長もこの事態を静観できず、1月28日に金子国土交通大臣と面会、早急に埋立免許の認可を求めた。
ここで起こったのが市長と金子大臣の「バトル」だ。この会見で羽田市長は地元住民の大半が賛成していることや、地域活性化に不可欠の事業であることなどを説明し、早期の認可を求めた。会談の詳細は必ずしも明らかではないが、大臣の意向は翌々1月30日の記者会見で明らかとなった。この会見で金子大臣は「10万人の反対者がいる。国民の同意を取り付けてほしい」と強調。「反対派の人たちと会わない。交渉する余地がない、そんな話をしている限りは駄目だ。歴史や文化財をどうやったら守れるか考えてほしい。その過程で見直しもありうる」と述べた。この大臣発言に対し市長も一歩も引かなかった。2月2日「民主主義の手続きを踏んで進めてきた。国民同意が必要というが、何をもって国民同意となるのか定義づけが分からない」と不快感をあらわにした。大臣の対応もすばやかった、市長の「不快」発言の翌3日、閣議後の会見で応酬「思いが理解されずに残念。(福山市以外の)住民が何を考えているか、頭の中に入れてほしい」などと、反対派との対話を求めるなど、平行線の状態が続いている。市長はその後の会見で反対派との対話を否定し、この両者が歩み寄る気配はない。反対派住民の提訴した埋立免許の差止めを求める住民訴訟も結審し、この春には司法の判断が下される。
さて今回の大臣と市長の「バトル」、キーワードは「国民の同意」だ。「国民の同意」とは市長も述べたように、はなはだ曖昧な定義で、とらえどころのない言葉だ。だが、ここで視点を変えて、鞆の文化遺産としての価値、歴史的な景観の変更が「国民の同意」を必要とするほど重要で、大臣の発言はこのことを国が認めたと考えてはどうだろうか。とするならば国はこの貴重な鞆の歴史的価値、景観を守るためにはそれ相応の措置を講じなければならない。文化遺産と住民の生活は両立しないことが多い。文化遺産を保護活用するためには住民の協力が必要だ。国は鞆を国民的な文化遺産と認めるならば、そこに生活する人々の生活も守らなければならない。大臣は当然このことを知っているはずだ。今回の大臣発言は埋立架橋反対派、賛成派両者にとって、「泥沼」から抜け出す絶好の機会を提供してくれたと考えるべきだ。