高校地歴、なぜ日本史を必修にしないのか

22日、文部科学省は高校の学習指導要領改定案を発表した。この中で新たに義務教育の内容を復習することが出来るようになったり、授業時間数に幅を持たせ、学校の裁量権を拡大することを認めるなど、評価すべき点もあったが、納得できないのは、地理歴史の必修教科を引き続き「世界史」としたことだ。
文部科学省幹部は、「世の中は一層国際化した。(世界史の必修を)変える必要はない。」と話したそうだが、「世界史」が1989年、「日米貿易摩擦などの情勢を受け」「国際的な感覚を育てる」ことを目的として「必修」とされたとするならば、国際的な圧力によって教育内容が改変されたことになり、なおさら問題であろう。
果たして、「世界史」の必修が「国際的な感覚を身に付ける」ことに役立つのだろうか…。国際人となった日本人は、自国の歴史を知らなくても「世界史」を知っていれば良いのであろうか。
実は、「世界史」なる教科は戦後になって「創設」された科目で、内容は甚だあいまいなものである。全国の大学を見渡してみても「世界史」専攻の教授なるものは存在しない。あるのは「東洋史」「西洋史」あるいは「アメリカ近代史」などの講座である。
世界史と言う科目が存在するとすれば、それは「哲学」の分野だ。マルクスレーニンなどのマルキストは世界共通の歴史哲学を見つけようとしたが、失敗した。ソ連圏の崩壊に見るように「世界共通」の歴史の真理など存在しなかった。
あるのは世界各地の地域や国々の歴史である。人はまず身近な地域、歴史から世界を理解しようとするのではないだろうか…。「個人」や「地域」を離れた歴史は観念的なものでしかない。かつて、ある歴史家は「村々の歴史が寄り集まって、その滔々たる流れは地域の歴史となり、地域の歴史の集合体が日本史である」と喝破した。
自らの歴史文化を知らない者が「国際人」として通用するのかどうか、はなはだ疑問である。是非、日本史や地域の歴史を必修としてもらいたい。