城下町福山の復活を

城下町福山の復活を
恒例の「ばら祭」が17.18日と盛大に開催された。まことに結構なことだ。福山市の広報によると、ばら祭は、昭和31年に市民が始めた「バラ展」が原点で、昭和43年、広島日独協会と福山市の共催によるバラコンテストを中心に第1回バラ祭が開催され、今年で41回目を迎えると言う。
「バラ」は戦災で焼け野原となった福山市の復興の象徴であった。戦後、今のバラ公園辺りの焼け跡に地域の人が数株のバラの苗を植えた。焼け野原となった廃墟に咲いたバラの花はさぞ美しかっただろう。市民が提唱、主導し、行政が後押しして定着した行事と言う意味では、福山の「バラ祭」は現羽田市長が推進する「協働のまちづくり」のお手本となったもので、全国に誇って良い「市民のフェスティバル」だ。
だが、最近、このバラ祭を市の祭として強調しすぎるあまり、福山市としての独自性が失われつつあるように感ずる。卑近な例では、市からの通知の封書そのほかに「市章」のあの「こうもり」をイメージしたマークではなく「バラ」のマークが印刷されているのをご存知だろうか。よく見ると、市章は市役所や学校など公共施設など一部に「市の旗」として翻っているだけで、ほとんど目にすることはなくなった。「いつ」「どのような経緯」で、市のマークが市章から「バラの花」に変わったのであろうか。
また、福山の観光キャッチフレーズも、いつの間にか「ばらのまち福山」となり、市の観光パンフレットから「城下町福山」の文字は隅のほうに追いやられてしまった。これも「いつ」「どのような経緯」で変わったのか、市民の一人として大変気になることである。
「ばら」を福山の象徴にしようという考えも悪いことではない。だが、そのためには市民が十分納得受け入れるだけの理由を提示してもらわなければならない。ばらと福山の結びつき、福山が「ばらのまち」でなければならない理由などだ。それに、「ばらのまち福山」を銘打つだけの「ばら」を中心とした公園・施設も必要だろう。全国に「ばらのまち」や「ばら公園」はたくさんあり、福山のばら公園はそこに出すのもはばかられるような小規模なものでしかない。
私は、人口47万と言う中国地方屈指の大福山市の「まち」としてのイメージが僅か40年やそこらで出来るものではなく、市民の合意もなしに市のマークを変えてしまうような姑息な手段で、まちのイメージが刷新できるものではないと考える。日本中、いや世界中の人が見て、福山の独特のイメージは「福山城」しかありえない。そもそも福山の地名の起源こそ、この福山城にあったのではないのか。我々は、ここのところを良く考えて、現在問題になって駅前から出土した福山城の石垣の保存問題などに対処しなければならない。私は、今、福山市は「ばらのまち福山」から「城下町福山」へと、大きく舵を切る時期に来ていると思う。