3月20日(日)、4月から親元を離れる息子を連れて先祖の墓参りをした。先ず、墓のある光照寺へ、次に田口家先祖の地である百谷の高山へ。高山は吉備高原の南端の集落で蛇円山が真横に見える。羊腸の坂道のどん詰まりにかつての大黒屋田口氏の屋敷(現在は別人が居住)があり、そこから南に谷を挟んで墓地がある。奥まったところに自然石のみの古い墓が10基ほどあり、手前に江戸後期の石塔、さらに手前に大黒屋の巨大な石塔があるが、松が倒れて道を塞ぎ、荒れ果てたままである。近代の墓には田口家の五三の桐が刻まれている。下の写真は自然石の古い墓。

田口家の古い過去帳に馬屋原強右衛門、同勘兵衛の名があって、馬屋原の一門と考えられている。そこで息子を連れて旧三和町小畠の岩屋寺旧跡にある馬屋原氏の墓地へ、こちらは室町期の五輪塔や寶篋印塔である(下の写真)。さて息子がどう思ったか、気になるところである。