鞆の浦の価値

 想像以上の判決であった。

 鞆港埋め立て・架橋計画に反対する住民たちが埋め立て免許の差止めを求めた訴訟の判決が、10月1日、広島地裁であった。

 裁判長は鞆の浦の景観利益を住民に認め、その景観は「国民の財産」と断言、埋め立て架橋計画は公有水面埋立法に違反するとして、県知事に免許の交付をしないように言い渡した。

 能勢裁判長は、判決の中で、鞆の浦の景観は瀬戸内の美的景観を構成する国民の財産と述べ、埋立事業が鞆の浦に及ぼす影響は重大で、景観を侵害するとし、埋め立て架橋事業は必要性、公共性についての調査検討が十分でなく「不合理」と断言。県知事が埋め立てを免許することは裁量の範囲を超えており、差し止めるとした。

 要するに、裁判官は埋め立て架橋で得られる利益より、侵害される「景観の価値」の方が大きいと判断したわけだ。

 鞆港の歴史的・文化的な価値は我々福山人が思っている以上に価値があるようだ。

 瀬戸内海で栄えた近世の港町で、国の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に指定されているのは呉市豊町の「御手洗」だけだが、実際に行って見ると、その景観は鞆に遠く及ばない。過日、このことを確認すべく車を走らせた。かつては船しかなかった交通手段も、安芸灘大橋をはじめ4つの橋で本土から40分で訪ねることができるようになった。

 御手洗の町並は、鞆を見慣れた私にとって、「これが重伝建か?」と感じるほどお粗末なものであった。鞆の「七卿落遺跡」は、当時そのままの建物(重文大田家住宅だ)だが、御手洗のものは、どう見ても明治以降の建築だ。また、港の施設、雁木・波止・常夜灯も当時のものはほとんど残っていない。かろうじて常夜灯に「天保」の文字が刻んであったが、火袋は現代のものだ。鞆にはこれらがほとんど当時のままの姿で残っている。

 江戸時代、鞆と並ぶ港町として繁栄した備前牛窓、播磨室津も何度か訪ねたが、鞆の歴史的景観には及ばない。歩くたびに思うのは、それらの港町と違って、鞆は「今を息づいている町」だということだ。

 判決は「先ず埋め立て架橋ありき」の行政の姿勢も強烈に批判した。確かに言われてみればそうだ。鞆の活性化に「なぜ埋め立て架橋」が必要なのか…。行政側はいつも埋め立て架橋「しかない」を強調するが、果たして埋め立て架橋をすれば鞆に「バラ色」の未来が待っているのか。行政側の説明はまず埋め立て架橋計画があって、その理由付けに知恵を絞っているように見える。本当に埋め立て架橋は必要なのか、裁判長が指摘したように合理的な理由を市民に提示して欲しい。交通渋滞の緩和だけなら「トンネル案」という代替案があるではないか。