芦田川河口堰の常時開放を

芦田川河口堰の常時開放を
 先日の夕方、久しぶりに芦田川の河原を散歩した。夕暮れの中、涼風に吹かれながら散策を楽しもうとしたのだが、期待は見事に裏切られてしまった。
 何ともいえぬ生ぬるい嫌なにおいと、目・鼻・口に容赦なく飛び込んでくる「ユスリカ」の群れに辟易して、早々に河原を退散した。
 「防虫灯」の設置で、以前ほどではないとはいえ、都会のマンション暮らしの人なら驚いて逃げ出すはずだ。
 以前の、河口堰が設置される前の芦田川の夏は、賑やかなものだった。度々の水死事故で「禁止令」が出たとはいえ、夏になると「川」は子どもから大人までの「遊び場」であった。近所の子どもたちは、学校から帰ると海水パンツに着替えてそのまま川に泳ぎに行った。大人も「シジミ」とりや「よぼり」「投網」で結構「川」を楽しんだものだ。
 その「川」が、今水の汚れと「ユスリカ」の発生などで、人の余り近寄らない、市民と隔絶された存在になってしまった。
 原因の一つは「河口堰」だ。
 芦田川は、流域人口に対して、流域面積が少ない。しかも、中・下流は「天井川」となって保水力が少ない。そのため流域では過去度々「水不足」による飢饉が起こった。しかも、昭和30年代以降、「備後工特区」の指定によって、大規模な工場が進出し、工業用水もまた芦田川の水に頼るようになった。この「水不足」を解消するため、上流に「八田原ダム」が建設され、河口に「河口堰」が設置された。以来、30年、この「備後の母なる川」は、河川の汚れ「ワーストワン」として、余り好ましくないことで有名となった。
 河川の汚れ「ワーストワン」を返上する一番の方法は、この原因の一つである「河口堰」を常時開放して、山から海への水の流れを自然に任すことだ。そうすれば、日ならずして芦田川は甦り、再び市民の憩いの場となることは間違いない。
 「工業用水はどうするのか」という声に対しては、山手橋から水呑大橋の間に、小規模な「堰」を設けて、ここから工業用水を取水することを提案する。流路は既存の「農業用水路」を利用すれば、費用を節約することが出来る。
 一昨年、福山周辺の漁協が河口堰の常時開放を求めて海上デモを行ったように、河口堰設置の影響は30年間じわじわと広がり、今や漁獲量や養殖海苔の収穫に目に見える形で現れるようになった。
 30年間福山経済を支えてきた河口堰、そろそろ役目を終えるときが来たのではないだろうか…。
 低成長の時代、何よりも求められるのは人々の「心」を豊かにすることである。「自然の川」は、市民に、潤いと安らぎの場を提供してくれるはずだ。